ねずみ

ホームセンターでハムスターの寝床を探しているときに、電話が鳴った。僕は両手に3つの寝床を持ってどれにしようか選んでいるところだったから、ジーンズのポケットに突っ込んだ携帯電話を取り出すのに少しばかり時間がかかってしまった。電話のベルは、餌をねだる雛のように僕のことを呼んだ。
「すごくうるさいけど、どこにいるの?」
寝床を棚に戻して、外に出た僕に彼女は言った。
たしかにすごくうるさかった。ホームセンターの屋外スピーカーから流れてくるよくわからない音楽は音が割れていたし、オレンジ色のはっぴを着た中年の男が死にかけた象のような声で客を集めていた。駐車場にも道路にも車が溢れていた。
「ホームセンターにいるんだ」
「ホームセンター?そんなところで何をしてるの?」
「ハムスターの寝床を探してるんだよ」と僕は言った。
「ハムスター?あなたハムスターなんて飼ってた?」
「飼ってない。これから飼うんだ」
「まだいないハムスターのために寝床を用意してるの?」
呆れたような声だった。彼女の声は全く表情が豊かだ。僕はいつもうらやましくなる。そう言うと彼女はものすごく嫌な顔をするんだけれど。
「少し考えてくれないかな。君は引っ越しをする。布団がない。寝ることができない。困るだろう?」
「失礼ね。布団くらい先に用意するわよ」
「そう、君はちゃんと布団を用意する。だけどハムスターは自分じゃ布団を用意できない。だからハムスターが引っ越してくる前に、僕が代わりに布団を用意する。筋は通ってると思うけど」僕は辛抱強く説明した。周囲の雑音に負けないように大きな声を出しているせいで、自分のセリフが40人のいうことを聞かない生徒を抱えた教師が喋っている言葉のように思えた。
「なんだか仏教の説話に出てきそうな話ね」
「まあね」
「で、どうしてハムスターなんか飼う気になったの?ネズミよ」
「ネズミを馬鹿にしちゃいけない。ロケットに乗って宇宙に行った最初の地球上の動物だ」
「ふうん」たいして感動したふうでもなかった。「私だったら、ネズミと一緒にロケットに乗るのなんかごめんだわ」と彼女は言った。
「いや、人間が一緒に乗ったわけじゃない。ネズミだけが乗せられたんだ。いろんな影響を調べるために」
彼女は再び「ふうん」と言った。「私、ネズミに生まれなくてよかったわ」
「たしかに」と僕は答えた。他に答えようがなかった。こうして僕はいつも自分のボキャブラリーの貧困さと才能の限界を知るのだ。いっそのことネズミに生まれてくればよかったのかもしれない。運がよければ、宇宙にだって行けたかもしれないのだ。やれやれ。