世界はまわる

【1】ワゴンに乗った音楽隊
 黄色いワゴン車が目の前に止まり、中から音楽隊が降りてきた。全部で12人だった。最初の1人目がぴょんと飛び出すように降りてきてからずっと指を折りながら数えていたから間違いない。念のためにもう一度数えてみたら、やっぱり12人だった。楽器も12個だった。最初に降りてきたトランペットを持った赤い服の男が一曲いかがと訊いてきたので、僕はよろしくと答えた。知らない曲だった。音楽隊は演奏が終わると、降りてきたのと逆の順番で車に乗り込んだ。最後に残ったトランペットの男が一緒にいかがと言ったので、僕も車に乗り込んだ。音楽隊は13人になった。楽器がひとつ足りなかったけど、緑色のスカートをはいたタンバリンの女の子がポケットからカスタネットを出して僕にくれたので問題は何もなかった。

【2】首振りマイルス
 公園のベンチに座っているとマイルス・デイヴィスそっくりな男が現れて、あなたが持ってるカスタネットを私にくれませんかと言った。代わりに帽子をあげますと彼は言った。サングラスもあげましょうと言った。でも彼から帽子とサングラスを取ってしまったらトランペットが吹けなくなることを知っていたので、僕は断った。それにカスタネットは、さっきプールから帰ってくる途中で出会った牛によく似た親子にあげてしまったのだ。子牛のような子供が母牛のような母親にねだり、その母牛が僕にねだった。青と赤のカスタネットは子牛の首によく似合った。僕がそう告げると、マイルスは残念そうに首を振った。どうして僕がカスタネットを持ってることを知ってるのか訊ねてみたが、首を振るだけだった。一緒にコーヒーでも飲みませんかと誘ってみたけど、彼はやっぱり首を振り続けていた。それがいかにもマイルスらしい首の振り方だったので、僕は妙に感心してしまった。

【3】家を出る理由
 猫が家出した。僕がマイルス・デイヴィスを一日中聴いていたせいだ。猫はジャズが嫌いだった。嫌う理由はわからない。猫を捜しに行こうとしていると郵便配達人がやってきた。ナガノさん速達ですと彼は言った。だけど僕はナガノさんじゃないので受け取らなかった。住所はここであってますと配達人は言った。だけどナガノさんはここにはいない。僕が一日中モーツァルトを聴いていたある秋の日に出ていってしまった。彼女はクラシックが嫌いだった。やっぱり理由はわからない。僕は配達人にモーツァルトは好きですかと訊いた。彼は好きだと答えた。ではマイルス・デイヴィスは、と訊くと、それは誰ですかと質問された。隣町のおいしいケーキ屋さんの名前だと答えると、彼は大して興味なさそうにふーんと頷いた。そういう訳で、ナガノさんへの速達は僕の手元にはないし、猫もいない。もちろん、ナガノさんもいない。

【4】志願者
 街で一番おいしいケーキ屋に行って僕を弟子にして下さいと頼んだ。でっぷりと太った主人は僕のことを頭のてっぺんからつまさきまで2往復半眺めたあとで、だめだと言った。仕方がないので、街で一番まずいケーキ屋に行って弟子にしてくださいと頼んだ。びっくりするほど高い帽子をかぶった主人は僕に一度も視線を合わせることなく、断ると言った。あきらめて外に出ると、道端でアイスクリームを食べている3人の娘がいたので僕の弟子にならない?と声をかけてみた。一人は即座に嫌よと言い、一人は返事をせずに横を向いた。そしてもう一人は何の弟子にしてくれるのと訊いた。君がやりたいことを教えてあげるよと言うと、彼女は雨ごい師になりたいと言った。砂漠に雨を降らせてみたいのと彼女は言う。オッケー、さあ行こう。僕は彼女を自転車のうしろへ乗せて砂漠へ出発する。

【5】砂漠の規則
 らくだに乗った警官がやってきて、どうしたんだと訊ねるので、素直に道に迷いましたと答えた。砂漠っていうのはただ砂が一面に平らに広がっているだけと思っている人がいるけど、それは違う。山があり、谷があり、変化に富んでいる。僕はちゃんとそれらを目印にして歩いていたのだけれど、ここでは少し風が吹いただけで山の形が変わったり谷が埋まったりしてしまうので、ほんのちょっと休憩してるうちに自分がどこにいるのかわからなくなってしまったのだ。警官に一緒にらくだに乗せてくれないかと頼んでみたが、規則だからそれはできないというのが答えだった。水をわけてくれないかと言ったら、それも規則違反だと断られた。代わりに、南にまっすぐ13,000歩歩くと銀行があって、そこから東に6500歩行ったところにコンビニがあるからそこで買うといいよ、と教えてくれた。僕はまっすぐ南南東に歩いた方が近いと思ったが、口には出さなかった。たぶん規則で決まっているのだ。

【6】ねずみ銀行
 目の端の方で何か黒いものが動いたような気がした。パラパラとめくっていた雑誌から顔を上げてみたけれど、動くものは何も見つからなかった。閉店15分前の銀行は客であふれていた。僕はもう1時間も、くたびれた黒い革張りの長椅子に座って雑誌を眺めていた。その間一度も僕の名前は呼ばれなかった。別の雑誌に手を伸ばしたとき、ネズミよという女の声が聞こえた。大きくも小さくもなく落ちついた声だった。その声は湖の表面を伝わる波紋のように静かに広がっていった。ネズミだ、ネズミだって、ネズミがいるわ、ネズミなんて・・・。僕はそのまま雑誌を読み続けた。やがて蛍の光が流れてきて波が引くように客の数が減っていっても、雑誌を読み続けた。お客さま、という声がして顔を上げると、制服を着た女が僕を見下ろしていた。ネズミは、と僕が呟くと、彼女はネズミ?と問い返した。僕は、いやいやいいんだと立ち上がって自動ドアの前に立った。ドアが開き、僕は振り返った。ネズミの姿はなかったし、僕の名前を呼ぶものは誰もいなかった。

【7】紙ひこうき
 紙ひこうきは高く舞い上がって、そのまま開いた窓に吸い込まれていった。四階建ての小さな古ぼけたマンションだった。二階の一番左のその窓からは、風にあおられたレースのカーテンが出たり入ったりしている。階段をのぼって部屋の前まで行くとドアが開け放たれていた。板張りの広い部屋だった。僕の背後から、何かご用という女の声がした。紙ひこうきが・・・と僕は言い、続く言葉を考えているうちに女はどうぞと言った。言われるままに部屋に入った。部屋の中には古ぼけた黒い革のソファがひとつあるだけだった。ほかには何もなかった。引っ越すのと女は言った。このソファをあげるわと言った。クラクションの音がして女は出ていった。ベランダから見ると小さな黄色いワゴン車が停まっていた。女は僕に向かって中途半端に左手を挙げ、車に乗り込んだ。僕はソファに座った。そしていつのまにか眠った。気がつくと夕方だった。知らない部屋で、しかも知らない女が残していったソファの上で目を覚ますのは奇妙な気分だった。周りを見回したが、僕の紙ひこうきはどこにもなかった。