2000-06-01から1ヶ月間の記事一覧

マリンバ男4

噂を聞いたのは岩ツバメの巣を取りに行く途中だった。僕を見つけたタンバリン男が寄ってきて教えてくれた。「マリンバ男のこと、聞いたかい?」と彼は言った。僕は黙って首を振った。「ここを出て行くらしいんだ」タンバリン男はいつもとまったく同じ調子で…

君に頼みがあるんだ

君に頼みがあるんだ。大したことじゃない。リンゴをひとつ食べて欲しい。赤くてキュッとひきしまってるやつを。青いやつはだめだぜ。赤くないリンゴはリンゴじゃない。そうだな、きれいに晴れてる日にして欲しい。木の枝にとまった小鳥がさえずってくれてれ…

彼女の太った叔父さん

彼女にはものすごく太った叔父さんがいたわけだけれど、彼女はその叔父さんのことを本当に愛していた。僕に叔父さんの話をするときの彼女の顔はとてもうれしそうに輝く。それは僕がちょっとやきもちを焼いてしまうほどだ。わたしの叔父さんはね、と彼女は話…

マリンバ男3

「かわいそうなフルート男」と僕が呟くと、マリンバ男はマリンバを叩きながら「かわいそうなフルート男」と唄った。そして最後の鍵盤をポロンと叩きながら涙を一粒こぼした。僕がハンカチを差し出すと、マリンバ男は默って首を振り、歩きだした。彼はいつだ…

スーパーマーケットの夜更け

夜中のスーパーマーケットにはいろんな音が漂っている。ジーというのはたぶん非常口を示す緑色のランプが切れかかっている音で、ブーンというのは冷蔵庫のモーターが回っている音だ。さらに耳を澄ますと壁の中を伝わる水の流れるような音が聞こえる。ときお…

マリンバ男2

周知のようにマリンバ男はマリンバを引っ張りながら歩いている。マリンバの足には小さな車輪がついていて、ガラガラと音を立てながら我々の前を通り過ぎていく。ある時僕は目の前を通り過ぎるマリンバ男を捕まえて、なぜマリンバ男になったのか訊ねたことが…

サリンジャーとサガン

「サリンジャーってどう思う?」 「緑色」 「緑色?」 「そう、緑色」 「僕が訊いているのは文章のことだよ」 「知ってるわよ」 「じゃあ、他には?」 「真空管ラジオ」 「どうして?」 「なんとなく」 「それじゃ、サガンは?」 「白いブラジャー」 「なん…

マリンバ男

もちろん彼だって最初からマリンバ男だったわけではない。カエルがカエルとして生まれてくるわけではないのと同じだ。いや、それは少し違うかもしれない。すべてのオタマジャクシは時が来れば望むと望まざるとに関わらず自然とカエルになることができるが、…

セニョール・ドミンゴ

彼のしゃべりはあまりに早すぎて、僕は西部劇に出てくるメキシコ人と向かい合っているような気分だった。何を言っているのかさっぱりわからない。そんな僕のことにはおかまいなしに彼はしゃべり続けた。最初は默って聞いていたのだけれど、そのうちだんだん…

博士の髭

博士はたいてい黒い革張りの回転椅子に座っている。僕が呼びかけると一拍おいてくるりと椅子を回し、右手で口髭を2、3度しごいてから、「なんじゃね?」と言う。そのせいで右の髭の方が左よりも少しだけ薄くなっている。実際博士もそのことを気にしている…

たとえば僕は、あるいは君は

たとえば僕はモスバーガーで窓際の席に座っている。テーブル上にはアップルパイとコーヒーが乗っている。季節は冬の始まりで、時刻は午後の4時過ぎ、天気は薄曇り。 たとえば僕は猫舌だから、本を読みながらアップルパイが冷めるのを待っている。マグカップ…

追いかけっこ

公園の芝生に寝そべる僕のすぐ傍らを猫が駆け抜けていったのは午後3時23分のことで、女の子がやってきたのはそれから5分後のことだった。僕は相変わらず寝そべったままだったから、女の子は僕の顔を見下ろす格好になった。きれいな女の子の顔を下から見上…

煙草、海亀、蛍、電車、絵葉書、そして煙草

「吸う?」と彼女が言った。 「タバコは吸わないんだ」と僕は答えた。 「今まで全然吸ったことないの?」 「あるよ。7本」 「7本?」 「そう、7本。小学生の頃、父親が消し忘れた灰皿のタバコをこっそり一口だけ吸ってみた。中学2年の時に何人かで同級生…

僕と、ある女の話

【1】流動ガラス 女が現れて流動ガラスの青いやつを下さいと言う。流動ガラス?流動ガラスって何です?と訊き返すと、女はそこにあるじゃありませんかと怒ったような顔をして指をさした。女の指さす僕の傍らを見ると木製の小さな丸いテーブルがあって、水を…