020103

 刑事がやってきたとき、壁にかけられたスペインタイル製の時計はちょうど12時をさしていた。僕はその青とオレンジのモザイクタイルをぼんやりと眺めながら、スパゲティのことを考えていた。冷蔵庫にはしめじが残っているはずで、トマトの缶詰を開けて煮込むか、にんにくと唐辛子とオリーブオイルで炒めてペペロンチーノにするか迷っていた。だけどトマトソースとペペロンチーノのあいだを行ったり来たりしているあいだに、はたして冷蔵庫の中には本当にしめじが入っているのだろうかということに確信が持てなくなり、そもそもパスタを茹でるより先に一時間前に目が覚めたときから気づかないふりをし続けていたひどい寝癖を何とかすべきではないだろうかと考えたり、寝癖でひどく恥ずかしい思いをしたことがずっと昔にあったことをふと思い出してみたり、そんなふうに僕の思考は平地を流れる蛇行した大きな川のようにゆっくりと移動していったのだけれど、目だけは相変わらず壁掛け時計に留まったままだった。そういうわけでその刑事がやってきたとき僕はパジャマのままで頭にはひどい寝癖をつけていて、もちろんスパゲティは茹でられてはいなかった。しめじの存在すらあやふやなままだった。そして時計は12時ちょうどをさしていた。

 刑事は二人組だった。テレビドラマで見たとおりだ。もちろん一人はくたびれた中年で、もう一人は若い男だった。望むと望まないとに関わらず、たいていのことはテレビが教えてくれる。

 「昨日のことなんですが」と中年の男は言った。「ご存じですか?」僕の寝癖には何の感想も抱かないようだった。あるいは職業柄ポーカーフェイスが得意なのかもしれない。

 いや、知らないと僕は言った。

 「このすぐ近くのマンションの駐車場の入り口でタクシー強盗があったんです。ご存じない?テレビのニュースでもやってたと思いますが」

 そう、テレビは実にいろいろなことを教えてくれる。スイッチさえ入れておけば。僕は昨日の夜から一度もテレビを見ておらず、新聞はまだドアのポケットに突っ込まれたままだった。

 僕はもう一度、知らないと言った。それから、さっき起きたばかりなのでと付け加えた。

 男はそうでしょうねというふうに頷きながら、言った。「女の運転手さんがね、包丁を突きつけられたんです。運良く逃げ出したけど。犯人は三十歳から四十歳くらいの男で、スキンヘッドだったっていうんですが、このへんでそんな男を見かけたことありませんかね」

 外はひどく風が吹いていて、開けたドアの外側に立った中年の刑事は寒そうにそう言った。若い方の男はそのうしろで手帳とペンを持って立ち続けていた。その姿はどことなく童話に出てくる狐を思い起こさせた。狡猾だが大事なところでへまを重ねるという役回りだ。最後はいつだってねずみやうさぎにしてやられる。

 さあ、見たことないですねと僕は答えた。

 「そうですか」と刑事は最初からあまり期待してなかったように言った。「まあ何か思い出したり気になることがあったら連絡してください。ちょっとしたことでもかまいませんから」

 うしろの若い男がこくりと小さく頷いた。あるいは風が強くてちょっと下を向いただけかもしれない。いずれにせよ、安っぽいドラマで見る若い刑事の役回りにぴったりの仕草のように思えた。彼もテレビからいろんなことを学んでいるのかもしれない。

 彼らが去っていき僕が部屋へ戻ったとき、時計の針は12時6分を示していた。

 結局冷蔵庫にはしめじは入っておらず、僕はたっぷりのオリーブオイルでにんにくと唐辛子を炒めてペペロンチーノを作った。しめじのかわりにピクルスのみじん切りを混ぜた。スパゲティを食べながら、新聞を横目で眺めタクシー強盗のことを考えてみたがうまく想像できなかった。スパゲティはとても正しい清廉潔白な食べ物だから、犯罪は似合わない。たとえそれがピクルスのかけらしか入っていないスパゲティでもだ。

 夕方になるまで寝癖のことはそのまま忘れてしまっていた。