ヒース/アイルランド
彼女は僕にハサミを手渡すとくるりとうしろを向いた。
そして束ねた髪を押さえて、「このへんで」と言った。
このへんで?と僕が繰り返すと、「うん、このへんで切って」と言った。
僕はハサミを持ったまま少しぼんやりとする。切る?彼女の髪を?僕が?
彼女は鏡の中から笑みを浮かべて僕を見つめている。
ほんとに切るの?と僕が訊ねると、彼女は2ミリほど唇の端を動かして笑顔の種類を変え、それから黙って頷いた。
彼女はいったい何種類の微笑みを持っているんだろうと思いながら、僕はハサミを持ち直して彼女の髪を切った。
外はもうすっかり暗くなっていて、春の一日は終わろうとしていた。