Hameenlinna


フィンランド | Hameenlinna
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 バスに揺られてチャンドラーを読んでいると携帯が震えた。メールには、「こっちですんごくいやなことがあったから、そっちにごうりゅうする。どこ?」とあった。彼女がひらがなでメールを書いてくるのはひどく機嫌が悪いときか、ひどく機嫌がいいときのどちらかで、今晩は当然前者だった。たしかに僕は彼女と昼間会ったときに今日は飲み会だと伝えたけれど、それは職場の飲み会でそこに合流されても困る。それに、そもそもその飲み会はすでに終わって、少し飲み過ぎたし疲れもしていたので、僕は誘われた二次会を断ってバスに乗っていたのだ。あと一区間バスに揺られ、それから300メートルも歩けば僕は自分の部屋に帰りつくことができる。
 やれやれ。僕はバスを降りると、彼女に電話をした。
 もう家の近くなんだよという僕に向かって、「私もいま駅に向かってるから。そこから戻ってくれば、ちょうどいいでしょ」と彼女は言った。「酔ってるでしょ?」と僕は訊いた。「あたりまえじゃない」と彼女は言った。まったく。
 僕は道路を渡り、向かいのバス停に立つ。やがてバスがやってきて、さっき通り過ぎた景色を反対側から眺める。もちろんチャンドラーはこういう場合にどう対処すべきか教えてくれない。
 ホテルの一階のバーに入る。彼女は「遅いよー」と3回ほど繰り返す。「で、何があったのさ?」と訊ねる僕に彼女は「教えない」と言う。なんだそれ。
 しかたなく、僕はピスタチオの殻を割りながら、ウィスキーを舐める。彼女と出会って何年になるか指を折って数える。そんな僕を見て彼女は「何やってるの」と訊く。「いや、最初に会ったのっていつだっけと思って」と僕は答える。「4年か5年前でしょ」と彼女は言う。あれ、そんなもんだっけと僕は思う。
 「そんなことより、聞いてよ。わたし最近モテ期なの」と彼女は言う。すごくいやなできごとはどこに行ったんだと言いそうになってなんとか押さえる。代わりに「ふうん。彼氏できた?」と僕は訊ねる。「できない」と彼女は言う。「もててないじゃん」と僕が言うと、彼女は「もてるのと彼氏ができるのは別でしょ」と呆れたように言う。まったくと僕は答える。
 それから僕たちは写真の話をし、猫の話をし、酒の話をし、毎日ものすごく短いスカートをはいてくるという彼女の職場の女の子の話をし、山菜摘みの話をし、共通の知り合いが揉めている話をし、手相の話をし、それからもう一度猫の話をした。いったいそういう話題がどこにつながっているの僕にも彼女にもわかっていなかったけれど、それはそれで楽しい話だった。
 時計が1時を回るころに彼女はいきなり「よし、帰ろう」と言いだし、いつものように僕たちはタクシーに乗り、彼女はいつものように自宅の前で「そんじゃ」とだけ言って降りる。そして僕はけっきょく彼女の「すんごくいやなこと」を聞いてないことに気づいて思わず笑ってしまい、ドライバーに少し変な顔をされる。