人生、または夜中の冷蔵庫について

 「ときどき人生について考えるんだ」という彼の言葉は僕に夜中の冷蔵庫を連想させた。夜更けの台所はいつだってしんとしている。どこかの部屋で水を流す音がパイプを伝わってやってくる。素足に触れる床は冷たい。明かりはついていないけれど、真っ暗というわけではない。カーテンの隙間から月の光が滲んでいたり、電子レンジのデジタル時計やガス漏れ警報機のランプが光っていて、なぜか不思議にぼんやりと明るい。そして思い出したように冷蔵庫が小さなうなりをあげる。夜中の台所とはそういう場所だ。ときどき眠れない誰かがやって来て冷蔵庫のドアを開ける。眩しそうに目を細めながら中を覗き込み、すぐにつまらなそうにドアを閉める。特に何が欲しいわけではなく、何を期待しているわけでもない。ただ冷蔵庫を開けてみたかっただけなのだ。冷蔵庫は夜中の台所を一瞬だけ明るく照らし、パタンという音とともにまた何事もなかったように黙り込む。あとはときどきぶうんと低くうなるだけだ。「人生って、真夜中の冷蔵庫みたいだ」と僕は言ってみた。彼はしばらく黙った後で「そんな人生は」と言った。「そんな人生は、犬に喰わせちまったほうがましさ」。なるほど。