0409110

 昨夜500kmくらい運転して日本海に面した小さな街から帰ってきた。そのまま職場に直行して、ため込んでいた仕事をひどく苦労して済ませ、調子の悪いプリンターの機嫌をうかがいながらプリントアウトして、ポストに滑り込ませたときには、とっくに日付が変わっていた。ハンドルの握りすぎなのか、キーボードの打ちすぎなのか、右の手首が少し痛んだ。

 部屋にだとりついてシャワーを浴び、財布からレンタルビデオのカードやクリーニングの預かり証や折れ曲がったレシートを引っ張り出し、代わりにクレジットカードを1枚追加した。パスポートと航空券と国際免許証とデジタルカメラと何冊かの文庫本をショルダーバッグに入れ、少し考えて長袖のシャツと頭痛薬を入れた。ベッドに潜り込んだのは何時だったのか覚えていない。目覚まし時計の音がひどく意地悪に聞こえたのはよく覚えている。

 寒くて目が覚めた。いやな夢を見ていたような気がする。思い出せないほどいやな夢だ。飛行機はロシアの上を飛んでいた。僕は足下のバッグから取り出した長袖のシャツを着て、再び毛布をかぶった。そしてまた眠った。

 シャルル・ド・ゴール空港の入国審査はひどくあっけないもので、気がつくといつの間にかフランスに入っていた。乗り換えのチケットカウンタはまだ空いておらず、カフェに入って苦いコーヒーを飲んだ。外はまだ明るく、僕はまた少し混乱する。

 チェックインを済ませてゲートをくぐってみたものの、時間は誰かに分けてあげたいほど余っていた。残っている本は読みかけの1冊だけで、しかたなくできるだけゆっくりと時間をかけてそれを読んだ。ふと目を上げると、前に座った女の子が分厚いハリーポッターを読んでいて、少しうらやましくなる。隣の席には新聞と雑誌、それにフリーペーパーのようなものが置かれていて、僕も読み終わった文庫本をその上に乗せた。空港の片隅のベンチにつくられた本の墓場。

 僕は立ち上がって2、3回首を振り、歩き始めた。搭乗手続きが始まっていた。列に並んだ僕にうしろから声をかけてきたのは背の高い青年だった。手には僕が置いてきた文庫本が握られている。どうやら忘れ物だと思って届けてくれたらしい。彼の少しうしろでは恋人らしい女の子が微笑んでいる。僕はにっこり笑って、ありがとうと言った。メルシー。だってそう言うしかないだろう。

 飛行機が飛び立ったときパリの街は夕闇に包まれようとしていた。やっとちゃんとした夜が来たんだと思った。