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嫌な夢で目が覚めて、いつの間にかソファで眠っていたことに気づく。

首が変なかたちに曲がっていたのか、ひどく肩がこっている。つけっぱなしだったテレビだけが暗い部屋を照らしている。時間の感覚が少しおかしくて、時計を見ても今が夜なのか夜のふりをした朝なのか判断がつかない。

喉が渇いて冷蔵庫を空けると漏れてくる光がやたらとまぶしくて、目覚めたことを少し後悔する。冷たすぎて味がしない水を飲みながらさっきの夢を反芻する。ひどく疲れていたけれど、もうとても眠れそうにはなかった。

 

5月の日曜

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いつ以来か忘れてしまったくらいに天気のいい日に休みが取れて、外に寝転がって昼間からワインを飲みながら本を読む。風は心地よいというには少し強く、指で押さえたページがパラパラと音をたてる。
本を読むのに疲れてそのままうたた寝をする。目が覚めたのは、風の音のせいか、ティシャツからはみ出た背中に感じた寒さのせいか。そんなことを5分ほどぼんやり考えていることに気づく。
つまり、まあ、5月のささやかなしあわせを味わう。

午前1時20分、ベルが鳴る

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電話が鳴ったのは夜中の1時20分だった。たまたま手に持って操作していたiPhoneに表示されたのはずいぶん懐かしい名前だった。
彼女から電話がかかってきたのなんてもう15年以上も前のことだった。
 
そのころ彼女はときどき思い出したように電話をかけてきた。決まって夜中だった。あるときは嫌な上司の文句だったり、あるときは慣れない東京暮らしの愚痴だったり、あるときは5分前に見たという怖い夢の話だったりした。
僕はたいてい半分寝ぼけながら彼女の話を聞いた。ベッドの中で10分ほどふんふんと頷いていると、彼女はいつも急に思い出したように「夜中にごめん」と言った。「いや、だいじょうぶ」と僕は答えた。
最後に電話がかかってきたのはいつだったか覚えていない。ただひどく寒い夜だった。慌てて電話に出てそのまま落としてしまい、ベッドの下に潜り込んだ電話を探すときにぶるっと震えたことを覚えている。
彼女の電話はいつもと少し違っていた。ふだんはいきなりしゃべり出すくせに、その夜だけは最初にこう言った。「夜中にごめん」。僕はいつものように「いや、だいじょうぶ」と答えたが、彼女は黙ったままだった。5秒ほどしんとした時間が流れた。なんだか音がどこかに消えてしまったようだった。彼女が住む東京と僕がいる福岡の間に小さなブラックホールでも出来たみたいだった。
「大学の時に大きな台風が来たの覚えてる?」しばらくたって彼女は言った。「覚えてるよ」と僕は答えた。
そのころ彼女は保険会社でアルバイトをしていて、大きな台風が通過していったあと授業にも出てこずに働いていた。僕は彼女に講義のノートを貸し、その代わりに学食でお昼をおごってもらった。
彼女はしばらく大学の頃の話を続け、僕はいつものように頷きながら聞いた。ベッドの中にいても寒くてたまらずエアコンのリモコンを探したがなぜか見つからずに諦めて相づちを打ち続けた。
彼女は急に話を止めた。そしてもう一度「夜中にごめん」と言った。僕ももう一度「いや、だいじょうぶ」と答えた。そして、電話は切れた。
それから彼女は夜中に電話をかけてくることはなくなった。僕の方からは何度かかけてみたけれど、なんだか間違い電話をかけてそのまま気づかずにしゃべっているようなへんな気分がした。
 
15年の間に僕は結婚し、引っ越しをした。彼女は仕事を辞め、結婚し、子どもを産んだ。
「どうしたの?」と僕は尋ねた。彼女は「ううん」とだけ答えた。「子どもはいくつだっけ?」と僕は聞いた。「6歳と3歳」と彼女は答えた。夜中の1時にする会話ではない気もしたが、他に話題もなかった。
あまり弾まない会話が15分ばかり続き、彼女は言った。「夜中にごめん」。「いや、だいじょうぶ」と僕は答えた。
彼女は「こんな時間につきあってくれてありがとう」と言って電話を切った。そんなことを言われたのは初めてだった。

夜の

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夜中に外に出てビールの缶を開ける。
月は霞んで見えない。
遠くになった風景を思い出す。

残されたもの

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パブ/アイルランド

 

小さなパブのカウンターには誰かが飲んだワイングラスがひとつだけ残されていた。