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昼食が遅かったせいでまったく腹は減らず、ぐるぐると街を歩き続ける。入る気もないレストランやパブを冷やかしながら歩くのはなんだか楽しい。こないだまで冬だったのにすぐ夏がやって来る。春はあっという間に終わった。いや、そうではなくて、あっという間に終わるのが春だという気もする。
午前3時のふたり
ふたりで2時間ほど飲んで、次どうしようかといいながら歩く。
酒を出す店はどこも閉まっているしコーヒーを飲めるところすら開いていない。30分ほど歩きまわって疲れたところで、知り合いが飲んでいるというのでそちらに合流する。
そこから2時間ほど経ったころにはすっかり酔っ払っていた。
電車の時間があるからと終わりにして、店の前で解散する。
彼女にどうやって帰るの?と訊く。もう電車もバスもないからタクシーですねと彼女は答える。
繁華街のあちこちにタクシーが停まっているけれどそこを素通りして歩く。僕が乗る駅の近くまで歩き、そこでも数台並ぶタクシーを無視して彼女は歩く。しかたなく僕はついていく。
どこから乗るのさと僕はいう。もう少しむこうと彼女は答える。たしかに彼女の家はそちらの方向だけれど歩いて帰れるほど近くはない。僕の家からはどんどん離れていく。
10分ほど歩いたところで、僕は最終の電車に乗ることを諦める。彼女は喋り続けながら歩く。でもなんだか微妙に話が噛み合っていない気がする。いつかこんな場面が出てくる小説があったなと思いながら、しかたなく僕も歩き続ける。
ふいに彼女が足を止め、これなんですかねという。川沿いの広場に竹で作られたオブジェが並んでいる。外灯に照らされたそれを眺める。なんだろうねと僕は答える。どこかから若者たちの歓声が聞こえてくる。彼女は不思議そうに僕を見つめる。噛み合わない会話は僕のせいかもしれない。
僕たちは川沿いのフェンスに背をもたせかけて座った。若者たちの声は相変わらず聞こえてくるが、どういうわけか大きくなったり小さくなったりしている。半袖のTシャツには風が少し冷たい。酔いが覚めてきたのか少し頭が痛んだ。
コーヒーが飲みたいなと彼女がいう。たしかにコーヒーが飲みたかった。だけどカフェもファミレスも開いてないし、コンビニも近くにはなかった。
コロナだからねと僕はいった。
彼女はそんなことはわかってるというような顔をして僕を見て、それから空を見上げていった。星が出てますね。
どうしてこんなに付き合ってくれるんですか?と彼女が訊ねる。だってタクシー乗らないから、と僕は答える。ふうん、とあいづちをうったあとで黙りこんだ彼女はまた空を見上げる。僕も首を上げる。
星座わかりますか?と彼女が訊く。いや、わかんないと答える。
僕は、空を見上げたまま喋ると「わ」の発音がしにくくて「あかんない」になるね、という。ふたりで星を見ながら「わかんない」を何度か繰り返す。彼女はくすくす笑う。
首が痛くなって、僕はデイパックを枕代わりに地面に横になる。
しばらく黙っていると、もしかして寝ちゃいました?と彼女が言った。
いや起きてるよ。
なんだ、寝てたらこっそり置いて帰ろうと思ったのに。
そんな会話を交わす。
なんか話があったんじゃないの、と僕は寝そべったまま訊く。
うーん、あったような気もしますけど、と彼女は答える。
もういいの?と僕は訊く。
はい、もういいんですと彼女が言う。
そっか。
僕たちはそのまま星を眺めたり、どうでもいい話をしたりした。
夏はとっくに終わっていたけれど、秋はまだ来ていなかった。
そんな夜だった。
思い出せないこと
久しぶりに雨が降った。
僕の仕事部屋は10階にあって眼下に割と大きな緑地が広がっているのが見える。水たまりができるほどには雨脚は強くない。遠くには山の斜面に建った家々の屋根が霞んでいる。
この2ヶ月ほどずっと忙しく、いい加減疲れた。疲れたというより、飽きたというほうが近いかもしれない。
飽きたというのを言い訳にしてずっと雨を眺めている。
照度計が狂っているのか、ひとつだけぽつんと外灯がついている。それが何かを思い出させるような気がしてしばらく考えてみたけれど、結局記憶は蘇ってこない。
人は見たいものしか見えないし、聴きたいことしか聴こえない。僕は思い出したくないのかもしれない。